人間である前に女


誰にでも愛される女になるなんて私には無理。
たったひとりの人に愛されることすらも大変なのに、難しいことなのに誰にでもなんて難しい。


床を共にした男が行為後に煙草を吸っていると自分も吸いたくなる。
中学生の頃好きだった人が煙草を吸っていたからその名残で煙草を吸う人が好きだ。
煙草の匂い、嫌いな人が多いが私は好きだ。
床を共にした男に
「1口吸わせて」
という。
LUCKY_STRIKE。
心は空っぽ。
だって好きでも付き合えることはないから。


だからたまに焦る。
私が幸せになれる日は来ないのではないかと。
本当に好きな人は現れるのかと。
私を好きになってくれる人はいるのかと。
堪らなく怖く、苦しくなる。



私は自分が人間である前に女だと自覚している。
どうすればいいのか。
心が空っぽだ。
生きるのをやめたくなる。
何もかも捨ててしまいたい。
たったひとりになれる場所でひとりで死にたい。
私は本当に駄目な女だ。


このままひとりでよくわからない苦しみを抱えて沈んでゆきたい。
誰かのために何かをすることが愛というのなら私は何が出来るのだろう。


私が好きになる人はもう既に付き合っていたりする人が多い。
死んでしまいたい。
死にたい。
ぼんやりと考えては苦しくなり、路頭に迷い、彷徨う。
悲しくて悲しくてたまらない。
割り切れない自分を殺したい


愛してください、愛をください
そうやって言うから余計欲しくなる
言霊はよくない
我慢して。
どうしたらいいの?一生我慢?
苦しいの、苦しいの、喘いでる



これが生の感触


煙草が吸いたい


LUCKY_STRIKEを少し吹かして私に吸わせて




あなたが人間としてとても好き
苦しくなんてないから
やめてよね










旅の女

なんだか最近フォロワーの皆様もブログを始める方が多く、皆様の記事を見ながら凄いなぁとしみじみしています。


さて、今回私は横浜へ行きました。
仕事ばかりで廃退していた精神を立て直す為やら人生観の話をしたい人がいるやらで横浜に。
二日間横浜駅周辺をうろちょろしていました。


パンクセーラー服で。


とても楽しかったです。
やはり旅というのは頑固でなかなか変わらない自分の考えをがらりと変えてくれますね。
知らない土地で画面の上でしかやりとりをしたことがない人と会うのですから。


みなとみらいの風に吹かれながら私は昔自分が理想としていた幸せな人生を送れるのだろうかと考えました。そしてカラオケでは長渕剛を歌い、友達の家に泊めてもらいました。


都会の人はやっぱり凄いですね。都会の人には当たり前なのかもしれませんが


電車の乗り降りをそつなくこなす


ということ。

私は本当に大自然の中で道祖神様に見守られながら育ったような田舎っ子なので本当に電車、新幹線とは交流がなく、乗ることも稀です。
しかし都会の人は毎日電車なり新幹線に乗っているわけで…。
そこは都会へ出る度に凄いなと思います。
 

やっぱり都会はいいですね。
賑やかい。
自分の地元に来た人5年分の人数と比べても横浜駅に来る1日の人の量には勝てないことでしょう。

その都会の海風に髪を靡かせながら椎名林檎気分でした(笑)


また行きたいな、横浜。
今度は駅周辺から少し離れたところも散策してみたい。
そして今回の旅でも私は人間としてより女としての自分を自覚しました。
どこまでも自分は女なのだな、と。

今回も学びの多い、楽しい旅でした♡♡

メンヘラを生きるということ

ブログを書こうとおもってはてなブログを入れたわけですが、ブログということで格式高い文章でも書くことにします。

まずはじめにどうしても書きたいことがあって、自分は人生失敗したなとかあんまり思いたくない(気付くと精神が死ぬ)からあんまり意識しないようにしているけれど要するに人生の選択の話です。


正直私自身も「ああ…間違えたわ」って思うことはあるわけでして…。
その中でも本当に間違えたと感じたのが

親の顔色を伺って全て親の都合に合わせて生きてきていた

ということ。

自分の人生って自分のものじゃないですか。あたり前ですよね。
でもその自分を生み出したのが親なんですよね。更に育ててくれた…。
育て方というのも色々ありますが、とにかく子供の為に親はお金だしてくれてるんですよね。
私は物心ついた頃から親が自分のために何かしらお金を出してくれることに対して「申し訳ない」と思っていました。
何故かはわからないけれど本当に申し訳ないと思っていて罪悪感が凄かったです。
そしてそれは顔色を伺うことにまで拡大してゆき、母が怒るようなことや気に触るような話題は出さないように注意していました。
自分の母親は情緒不安定なので私が高校受験の際に高校の話をすると必ずキレるような母親でした。
例えば
「○○高校に行きたいな」
と言えば

「はぁ!?そこ行ってどうすんの!?なんで
そんな話をするの?」

「じゃあ○○高校は?」

「んなこと聞かれてもしらんわ!ちょっとあたし具合悪いから今日はもうやめて」

といったような感じでした。
結局埒が明かず、ひとりで高校を決めました。

私は大学には金銭面のこともあって行けなかったのですが最初は奨学金を借りようとしていました。
それも母親に

「駄目に決まってんじゃん」

と一蹴されました。

私がいけなかったのはそこで抵抗しなかったことです。

私はそこでも顔色を伺い、自分の人生であるのに親のいうことを聞いてしまったのです。


後悔しました。


私は私の人生を私の身体で、心で生きているのに最後の最後で親の呪縛に負けたのです。


完全にこれは私の人生において私が悪いです。
ミスどころの話ではないです。
人生が変わってしまったということです。


後に私は母親から裏切られました。
その時にやっと自分は如何に親に縛られ、また自分も寄生していたのかを実感しました。

私は今この瞬間も母親がこのブログの記事を見て発狂して泣いて、めんどくさいことになったらどうしようと心のどこかで思っています。



皆様、皆様にとって親とはどういう存在でしょう?確かに溢れるほどの感謝の気持ちを持つということも大切だと思いますが、全て親に縛られず、自分が譲ってはいけないと思うところは親であれ誰であれちゃんとはっきり自分の考えを貫き通すべきだと思うのです。



特に中高生の皆様。
金銭的な面で殆ど頼らなければ生活していけないですが、本当にやりたいことをやるべきだと思います。
それで親と衝突しても良いと思うのです。
やりたいと思うことを主張するのは悪いことではありません。



どうか親子関係で苦しんでいる方も苦しんでいない方もなにか感じたり考えたりしていただけたら幸いです。