愛されたいと思うことは自惚れ

ニーチェの本を勧められた。
勧めてくれた人のことを私は人間として本当に好きなので読んだ。

私は好きな人が一番好きだという本を読むのが好きだ。
好きな人の一番好きな本を読むということはその人の人生を垣間見ることに通じる。
その人の何かを知ることに繋がる。
それは音楽よりも濃くある種の衝撃として降り掛かる。


ニーチェの本、本当に面白いですよ。
するりするりと読めます。


今、とても不思議な気分。
自分が夜の海辺に立ち、煙草を吸っている、そんなような。
流れている曲はtofubeatsの№1。
そんな心境の私が思うこと。
愛は必ずしも関係を必要としない。
愛することに関係という枠組みは最早いらない。
愛とは誰かが誰かのために何かをしたいと思ったり、誰かが誰かのために涙を流すことなのではないだろうかと最近思うようになった。
そこに恋人だの両親だのというカテゴリは必要ない。
愛する人の一番でなくとも愛をその人に与え続ける。
それこそが愛の存在の価値、なのではないだろうか。


あの日、同棲している彼女と結婚するといった私の愛する人。
海を見つめながらLUCKY_STRIKEを吸い、tofubeatsの№1を教えてくれた彼を私はこれからも愛しつづけるし、尊敬し続ける。
彼もそれを理解してくれた。
もうそれだけでいいのだ。
私は彼と一緒に吸ったLUCKY_STRIKEの感触を生涯忘れることは無いだろう。